僕の子供時代(小学生)の特徴
思いつくもの、思い出したものをただ羅列してみる。
友達はほとんどいなかった。大勢で遊ぶことは稀。
大体自宅で一人でブロック遊びやプラモで対戦ごっこをしていた。
登校下校もほとんど一人だった。
授業中に席をたつような多動性はなかった。
しかし、注意散漫になることは多々あった。というか、ほぼ集中していなかった。
授業中の大半はノートの余白部分に落書きをしていた。
それでも成績は良かった。小学生から中学まで公文で国語を数学
をやっていたので、それのおかげかもしれない。
(個人的な考えだが、多動性が優位の場合は、教師の目にも留まりやすく、
ADHDが発覚しやすいが、多動性がほとんど無い場合、発覚しにくいのかもしれない)
習い事に行くのが非常に億劫だった。
当時は、公文と習字をしていた。
公文も習字も行くのが非常に億劫だった。
特に習い事の先生が嫌いだ、とかではまったく無かったが、
行く、という決心をするのに非常に労力を費やす必要があった。
実際に行くと、別にそこでやっぱり帰る、という選択をすることなく、
ちゃんと課題を終えて帰っていた。
何かに対しての自分の意見を言うことが非常に苦手だった。
国語や道徳の授業の際、読んだ文章、授業内容についてクラス全員が
意見を一言ずつ言う決まりがあったのだが、
僕は自分の番が来るまでに自分の意見をまとめることが出来ず、
「○○君と同じ意見です」とばかり答えていた。
声に出して読むとよく噛み、読むと同時に内容を理解することが出来なかった。
国語の授業などで、1センテンスずつ生徒が読む、というのがよくあったのだが、
自分の順番の箇所を確認し、何度も暗唱しても、
実際に声に出して読むと、頻繁に噛んでいた。
また、初めて読む文章の場合、声に出して読んでも内容がまったく頭に入ってこかなった。
言葉で人を傷つける等、周囲に迷惑を掛けることが多かった。
これは以下の出来事が起こるまで完全に無自覚だった。
当時の帰りの会では「○○君(さん)に○○と言われて(されて)傷ついた」などを記載した
紙が入った意見箱の中身を、名前を伏せて担任が読み上げる、というものがあった。
おそらくこれは、加害者側に自覚してもらい、再発を防止する狙いがあったのだと思う。
ある日、担任がこれを実名で読み上げると言って全て読み上げた。
匿名でやっていてもまったく改善しなかったため、実名化に踏み切ったのだと思う。
結果、その多くで僕が加害者だった。まったく自覚の無かった僕にはかなり堪えたようで、
その後は極力自分から話す事をしないように努めるようになった。
当時の自分は、非常に自分勝手で、殆どの人に嫌われていたのかもしれない。
かもしれない、と書いたのは、当時は無自覚でそんなことは考えてもみなかったから。